魔法の世紀

先月落合陽一氏のデジタルネイチャーという新刊が発表になった。落合陽一氏については、NewsPicksBooksから出ている日本再興戦略が最高に面白かったので、その活動に注目していた。文系と理系が融合したその言動は、池澤夏樹の小説を思わせる。新刊のデジタルネイチャーを読む前にその予備知識として、同じ出版社Planetから出ている魔法の世紀を読んだので、今回はその書評を書く。

 

映像の世紀

この本のタイトルにもなっている魔法の世紀と対になって比較されているのは、まぎれもない20世紀。落合氏はそれを映像の世紀だったと定義している。

映像の世紀というのは、人間の聴力の限界、視力の限界などに合わせてメディアが設計され、その中をコンテンツで表現されたものが配信される世界。つまり音楽で言えばWAVEやMP3などに音楽のフォーマットが決まり、それをCDなどのメディアで消費者に配信される世界。映像で言えばテレビ局が電波に乗せてテレビを配信し、家庭で受信してみんなで同じ画面を眺めるという世界だ。

落合氏が言うには今、映像の世紀から魔法の世紀への移行が行われているというのだ。

今までは先ほどのテレビの例ようにみんなで同じ画面を見ていたが、実際に最近ではTwitterやその他キュレーションサイトなどでニュースを得る人が多い。そのようなメディアでは個人に最適化された画面を見ており、皆が一様に同じ情報を得る世界はだんだんと失われ、環境が変わってきている。

 

 

 

メディアアートについて、

落合氏の職業はなんだ?研究者であり、教育者であり、タレントであり、とにかく挙げていけばキリがない落合氏の職業だが、その中にメディアアーティストというものがある。メディアアートってそもそも何?っていう人がほとんどであろう。

メディアアートとは、メディアをアートするという事。メディアとは文字情報を伝える紙だったり、映像を伝えるモニタだったり、そういった、情報を配信するためのハードだ。映像の世紀ではメディアはCDや文庫本や、FMラジオなど、大衆に普及したものの実が選択肢だった。しかし魔法の世紀ではこの選択肢がぐんと広がる。(というか垣根がなくなる)そのメディアをアートしているのが落合陽一なのだ。

 

魔法の世紀

では具体的にどんな世界か。世の中はどう変わっていくのか。

落合氏はアイバン・サザランドの言葉を引用している。

「究極のディスプレイは、コンピュータが物体の存在をコントロールできる部屋になる。椅子が表示されれば座れるし、手錠が表示されれば誰かの自由を奪い、弾丸が表示されれば誰かの命を奪う。」

映像の世紀は人間に合わせてメディアを設計する時代だった。これを超越することで、メディアが物質世界をコントロールできるようになる。先ほども触れたCDの例で行けば、映像の世紀では人間の聴力で聞き取れるまでの周波数をデジタル化していたが、魔法の世紀ではこれを超越する。そうすると、音声データから色々な事が分かってくるというのだ。

これはとても面白くて、日本古来の単位尺貫法からメートル法への転換に似ている。

 

落合陽一の向かう先

あらゆるゲートをなくすのが目標だという落合氏は何処へ向かうのか。

AmazonGoでレジのなっくなった店舗のモデルはもう誕生してきたし、飛行機のチェックインもないLCC(セキュリティチェックはさすがにある)も出てきている。相変わらず財布にはSuicaを入れておかなければならないし、ほとんどの会社に入るには社員証が必要だけれども、時代の転換を見るのが楽しみだ。

とにかく、まだ落合氏の本を読んだことがない人は、まず私と同じように魔法の世紀を読んでみてください。3年前の出版ですが今でも十分に新しい考え方です。

そして魔法の世紀を読み終わった方はこちらへ。

科学技術だけでなく、もっと広い落合陽一氏の考え方を知りたい方はこちらもどうぞ。

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ABOUTこの記事をかいた人

元シンガポール在住のエンジニア。趣味は旅行と、本を読むことと、走ることと、ヨガと、サーフィンと、音楽を聞くことと、カメラと。。。何かに依存せずに自分を持っている人を尊敬します。